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オンラインでできる本格的四柱推命

      2016/03/12

四柱推命とは

中国で陰陽五行説を元にして生まれた人の命運を推察する方法である。1100年代、南宋の徐居易(徐子平)の書が文献考証的に四柱推命の最古となるため、徐子平が命学の祖といわれている(一説には、命理の始まりは、戦国時代(紀元前400年~ 200年頃)の蘭台御史(天子の秘書官)の珞琭子であるとされている[要出典])。

小説版『三国志』の中で、諸葛亮孔明は「易学」「天文学」「占星術」に通じていたと言われています。四柱推命は諸葛亮孔明の生きた三国時代にはまだ成立していない「かも」なので(成立していた「かも」ですが)、小説の中で孔明が操ったのは「四柱推命」ではないかもしれません。しかし、「四柱推命」の元になった考え方「陰陽思想」は、確かに、孔明の時代にも存在しました!

陰陽五行説とは

陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう、おんみょうごぎょうしそう)とは、中国の春秋戦国時代ごろに発生した陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた思想のこと。陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)、陰陽五行論(いんようごぎょうろん)ともいう。陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになった。

中国の春秋戦国時代は、紀元前770年から紀元前221年です。

春秋戦国時代

春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)は、中国史において、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代である。

よって、諸葛亮孔明(181年?-234年)が、陰陽五行説を知っていたと想像することはできます。孔明が「読書好きの政治家」だったことは、どうやら確かなことのようなので、それはとても楽しい想像です。

諸葛亮孔明

諸葛 亮(しょかつ りょう)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明(こうめい)。

日本における陰陽道

陰陽道(おんみょうどう)は、陰陽寮で教えられていた天文道、暦道といったものの一つ。陰陽道に携わる者を陰陽師とよんでいたが、後には陰陽寮に属し六壬神課を使って占いをし、除災のために御払いをするもの全てが陰陽師とよばれるようになった。陰陽師集団を陰陽道と呼ぶことがある。

安倍晴明

安倍 晴明(あべ の せいめい/ はるあき/ はるあきら、延喜21年1月11日[1]〈921年2月21日〉 – 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉)

安倍晴明の生没年から、安倍晴明が使っていたのも、四柱推命ではなかったことが分かります。安倍晴明といえば、夢枕獏先生の小説で一世風靡しましたね〜。

安倍晴明の時代における陰陽道

10世紀には陰陽道・天文道・暦道いずれも究めた賀茂忠行・賀茂保憲父子が現れ、その弟子から陰陽道の占術に卓越した才能を示し、宮廷社会から非常に信頼を受けた安倍晴明が出た。忠行・保憲は晴明に天文道、保憲の子光栄に暦道を伝え、平安末期から中世の陰陽道は天文道・暦道を完全に取り込むとともに、天文道の安倍氏と暦道の賀茂氏が二大宗家として独占的に支配するようになった。

安倍晴明が使ったのも小説の中の諸葛亮孔明が使ったのも四柱推命ではないけれど、「暦を利用した占い」であったことは想像できます。現代には「四柱推命」という暦を使った成立済みの占いがありますので、政治家(諸葛亮孔明)じゃなくても、官僚(安倍晴明)じゃなくても、手っ取り早く暦占いの面白さを味わうことができます!

あなたと友達を占えば、あなたも今日から陰陽師! 四柱推命をしてみよう!

人気占い師による四柱推命

ソフトウェアで行う四柱推命

最後に

四柱推命とは関係ないけど、最後は、陰陽師のおもしろ動画で閉めさせていただきます。(理由は、このまとめを作っていて存在を知って、「ウケた」から)。

ニッポンのソフトパワーは、かなりユニークで、楽しいですね!! 西洋のソフトパワーみたいにイケてなくても、韓国のソフトパワーみたいにオシャレじゃなくてもいいのさっ! ユニークでいこう、ニッポン!



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